はじめて物語

ライスペーパーはじめて物語

ベトナムが誇る、いのちの食材

 1986年から始まったベトナムのドイモイ政策の後、弊社創業者である許 順安は初めてホーチミンの地を訪れました。名物料理のライスペーパーを使った「ゴイクン(生春巻き)」を初めて食べた時、「なんておいしいのだろう!」と感動したと言います。  また、ベトナム戦争時の作戦本部だった「クチのトンネル」に行った時、現地のガイドが「私たちがアメリカに勝ったのは、ライスペーパーのおかげです」と言うので、その理由を聞くと、「隠れていても火を使って煙が出るとアメリカ軍の目印となり、爆撃されてしまいます。その中でもライスペーパーは水に浸せばすぐ戻り、近くにある葉や適当なおかずを包んで食べることができます。また、栄養や保存性にも優れていて、軍人たちは常にライスペーパーを携帯し、トンネルに長期間隠れることができました。」と話してくれました。

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創業者は「こんなにいい食材なら、日本に広める価値がある」と確信し、現地の国営会社と契約を結び輸入を開始しました。しかし、ライスペーパーは一つ一つが手作りで天日乾燥のため、作るのにとても時間がかかります。また、熟練した技を要するために生産が間に合わず、商品を集めるルートを確保するのにとても苦労しました。さらに当時の日本にはライスペーパーの関税率を決める税番もなかったので、輸入手続きも困難を極めました。  さまざまな難局を乗り越えて、ついに輸入が実現された後、1990年代に空前のエスニックブームが到来。以後、ベトナム産のライスペーパーは、本物の味と質を志向するグルメファンから熱い支持を得て、現在では誰もが知る定番料理となっています。

 

ナンプラーはじめて物語

難民を救った、故郷の味

 1970年後半、ベトナム戦争終結後の混乱の中、約3000人のインドシナ難民が東京・代々木の住民施設に一時受け入れられました。しかし、その施設で出された食事が口に合わず、多くの難民たちがますます痩せていったのでした。  そんな状況を変えるために、大使館や商社で長年実績を積んでいた弊社創業者である許 順安に白羽の矢が立ちました。東南アジアの食材に詳しかった彼が選んだのは、当時日本では馴染みのうすい食材であったビーフン。難民にとってそれは故郷の味であり、大変喜ばれたのです。それでも「故郷の味と比べると何かものたりない」と度々言われたので、創業者は、多種類の醤油などでアレンジを重ねた結果、東南アジアの料理によく用いられる「魚醤」の旨みの魅力に気づき「これだ!これを輸入しよう!」と決めたのです。

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当時、ベトナムやカンボジアと貿易ができなかったため、同じ東南アジアのタイなら味も似ているだろうと思い、様々な過程を経て、やっとタイの魚醤「ナンプラー」を輸入するところまできました。しかし横浜港の通関時に「税番(関税分類)がない」との理由で保留措置になってしまいます。さらに珍しい臭いだったため、「腐った商品は輸入できない」と厚生省から輸入差止めとなり、なかなか通関できないという苦労もありました。それでも熱意をもって厚生省を説得し、日本初の輸入許可を取得したのです。  苦労の末にようやく届けられたナンプラーを見て、難民の人々は歓声をあげて喜んだそうです。その場で唐辛子を輪切りにし、ナンプラーと一緒にごはんにかけ、「これを待っていたんだ」と5杯も6杯もおかわりしたそうです。この姿をみて感動した創業者は、「こんなにおいしいなら、この味を日本の人たちにもぜひ紹介したい」と思い立ち、ナンプラーの輸入販売を本格的に始めたのです。